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知られていないすごい歴史


僕が住んでいる霧島市隼人町の富隈地区には、

すごい歴史が眠っています。

すごい歴史なのに地元の人に全く知られていない。

城跡まであるのに・・・(-_-;)


城の名前は、「富隈城」、

城主は「島津義久」。

写真は富隈城の城跡です。

全国的に有名なあの関ヶ原の戦いで敵中突破した「島津義弘」の兄ちゃん。

島津4兄弟の長男で、勇猛果敢な弟3人にくらべ、義久公はおとなしく少し病弱そうなイメージです。

以前、全国のテレビ番組でも、ひきこもりのお殿様として紹介。

戦に行く時は占いで決めるなど、マイナスのイメージばかり。

だから、地元の人からは忘れられているのかと思っていました。

しかし、義久公がいなければ島津家は存続してなかったと言っても、

過言じゃありません。

義久公が藩主になり、島津家の礎を作り九州全土と統一まで

あと一歩のところまで勢力を広げ、その後豊臣秀吉に敗れますが、

抵抗をしないことを示すためこの富隈城を作り、最初の島津家の滅亡を回避。

この富隈城は平城(ひらじろ)と呼ばれ、天守閣もない簡素な作りだったそうです。

城の背には山もないので、どこからでも攻め込まれるような城です。

あの関ケ原の戦いで西軍(負けた方)についていた弟義弘公が

敵中突破をして帰ってきた時も、この富隈城に帰って来たそうです。

まだまだ話はありますが、そんな歴史的にも重要な城の城主が、

地元でほとんど知られてないなんて・・・・。

僕個人の空想ですが、跡継ぎに恵まれなかった義久公。

家督は義弘の息子忠恒公へ。

かなり素行が悪かった忠恒公は、家臣が義久公を慕っていたり

家督を譲っても力があることが面白くなく、

義久公が亡くなった後に、忠恒公が義久公の記録などを

全て消してしまったのではないかと・・・。

いつか富隈城で地元を盛り上げたいと思ってます(^-^)


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